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畳8畳

狭いですがゆっくりしていってください

資本主義

ここがどこなのかを理解するのに20年以上費やしてしまった。

確かに僕は今、巨大な巨大な水槽の中で泳いでいる。

 

僕以外にも沢山の人間が泳いでいる。組織で個人で、皆思い思いの表情で泳いでいる。時折子供を見かけるが比率的にはそうでもない。

 

微かな射光が遥か彼方、水槽の角で光量を変え、僕を捉える。

反射する光と音で自分の小ささを確認できる。自由に泳げる快適な環境だが、上も下も終りが見えない。そもそも浮遊しているのでどちらが上なのか理解できない。今わかるのは、巨大という表現が幅奥行きではなく、高さだということだ。

 

聴覚神経を研ぎ澄ますと、四方八方から笑い声が聞こえる。エコーの様に響いている。 

 

しかし、どういったものか、穴の様に暗い底の方は笑い声ではないことに気づく。阿鼻叫喚だ。これは何だか聞いたことのある声だ。

 

 

考えてみると、あいつはいつからか様子がおかしかった。ある時を境に僕が何者であるかを仕切りに聞くようになった。僕は自分について話す事に抵抗はなかったが、彼の興味は次第にエスカレートし、時には嘘をつかなければ抑えられないほど執拗に迫られた。その態度が収まることはなく、当初の僕の自発的な行動は、強要という操作によって掻き消され、いずれ脅迫に支配されていった。

 

正気を失うものであったが、彼からの興味を喜んで受けれ入れている自分がいることに気づいた。疑う余地もなく、彼を肯定していた自分が確かにそこには居たのだ。

 

その狭間を感じていたある日、突如彼は自分の中から姿を消した。

 

僕の全て、脳細胞の信号1つまでをも知った彼は、「もう聞くことは何もない」と飽きて行ったのか、将又僕を育て終えたのか、誰かの作用に寄って消されたのか...、別れも言わず居なくなった。

 

脅迫の日々から突如現れた虚無。彼の存在が確認できない事が僕の首を絞めていた。僕は彼を必要としている。彼を探さなければ息ができない。苦しい。彼が必要だ。生きるために。

 

長い時間彼を探した。苦しかった。息ができなかった。でも死ななかった。死ねなかった。何かが死を許さなかった。

 

彼に聞きたかった。彼が一体何者なのかを。

彼がどんな人間でどんな発育をし、どんな思想を持ち、どんな哲学を説くのか。

どんな血が流れ、どんな細胞を分裂させているのか、どんな信号を送っているのか、そして僕をどう見ているのか、僕をどう感じているのか。それを聞きたくて聞きたくて、気になって気になって…。

 

僕は必死の思いで泳ぎ続けた。

 

彼という外の意識が増えれば増えるほど、身体が重く感じた。泳ぐ事がもっともっと辛くなった。

 

ある時、透明な壁にぶち当たった。そこには老けた自分が映っていた。初めて自分が巨大な水槽の中にいることを知ったきっかけだった。

 

水槽の中で生を確認して自分がどこにいるのかがわかった。

 

僕はこの世界に壁等ないと思っていた。自分の意志で生き、自由を意識する必要がなかった。

だが残念なことに、ここは誰かの世界のようだ。

 

頭の中を騙して創り上げた謂わば虚栄の自由は、僕なりの努力だったのだ。

 

生まれ持って決められた運命の中で優雅に泳いでいただけで愚かな姿だったのだ。あの笑い声はそれに気が付かない自分を誰かが指を指して笑っていたに違いない。

 

これまでの自分の恥を隠したくて居ても立っても居られなくなった。

 

とにかく上へ逃げた。壁を伝いながら上へ上へ。

 

自分の姿、彼の行方、悔しさ、不甲斐なさ、虚無感、晴れない霧の中、人々を横目に上へ泳いでいった。

 

バタ足が100万回を数える頃、上の終わりが見え始めた。巨大な水槽は永遠に続いていて欲しかった。これで終わりとは認めたくなかった。

 

バタ足の速度は徐々に遅くなり、天辺が近づいてくる。ゆっくり掌を天辺に合わせた時、結局何も手に入れられなかった事に絶望した。

下を見るとゴマのようなものが沢山浮いていた。

 

 

意外と時間がかかったな。

声というような可愛いものではない。爆音が響いた。音の力が衝撃となって伝わって来る。

 

彼の声だった。

 

水槽の外に彼がいた。それは巨大だった。口元しか見えない。

歯の1つを越えるのも大変な苦労がかかるだろうと想像できた。そのくらい巨大だ。

 

気を動転させながら、僕はがむしゃらに、積み上げてきた沢山の質問を彼に重ねた。

このチャンスを逃したくはない。

 

彼は終始ニヤニヤと口角を上げていた。

 

そして言った。

 

これはゲームだよ。

君はゲームの中の人。僕は「外の世界」で君達を飼っているんだ。

君たちの世界はその水槽。

 

僕は君の力を借りて外に出た。

 

この世界の事を未だ知らない人へ、気付かれないようにして自分に興味を持ってもらうこと。それさえ守れば外に出られるんだ。

 

この水槽の中でルールを知っている人は半分くらいか。

みんな探してるんだ。ルールを知らない人、君みたいな人を。

 

でも変だろ?

皆、僕みたいになりたいと思っているんだけど、なかなか出られない。人の力を借りると言っても、期待させて裏切るなんて道徳心が許さないみたいだ。人は哀れだよな。

 

君がもし水槽から出たければ、自分を偽って沢山の人を騙すといいよ。騙していつか外に出られたら、水槽を使ってゲームをしようよ。ニヒリズムが君を助けるはずだ。

 

彼はゆっくりと立ち上がる。 大きな音を立てながら水槽に背を向け、遠くへ歩いていった。彼は両手一杯に沢山の水槽を抱えていた。それは幾分か僕のいる場所より小さかったが、同じように沢山の人間が泳いでいた。

 

それを呆然と見ながら自分の身体は揺れていた。