畳8畳

狭いですがゆっくりしていってください

道具

自分が阪神大震災を経験したのは、誕生日の翌朝、自宅でパーティを終えて暫くした時だった。

 

まだ暗い夜中に、友人たちは帰宅し、僕は一人で片付けをしていた。

 

ギャーギャーと騒いでいた部屋に静けさが戻り、蛍光灯のジーという音と、窓の外で新聞を配るバイクの音だけが耳へ届く。

 

眠気と戦いながらグラスや皿を重ね合わせていた。

 

...とその時、

 

地響きとともに部屋がグラッと傾いて僕はバランスを崩した。

 

突然の出来事にパニックになりながらコタツに手をかけたが、大きな力は僕と部屋の物達を揺らした。机の上の皿やグラスは床に落ちて割れ、電気が消えた。

真っ暗な中、くしゃみを連発。

電灯笠の上、本棚の隙間、あらゆる所で埃が舞っている。

 

僕は身の危険を感じて懐中電灯を探しに行った。

 

冷蔵庫の上に置いてあることは知っていた。

 

真冬のキッチン。床を歩く度に足の裏からピンと張った冷たさが伝わる。

 

冷蔵庫の上を手探りすると、懐中電灯がヒーローのように出てきた。

 

何とも頼もしかった。

堂々として格好良かった。

 

しかし...、肝心のスイッチが点かなかった。

電池が切れていたのだ。

 

この時自分はこの道具が三振をした代打の様に見えた。

ピンチの時に出番が周ってきたこの打者が、空振り三振アウトになった瞬間だった。

 

 

メールやチャットの返信に見える認知と嘘と本音

週末、昔から意見交換をしている友人10人が集まり、同じ食卓を囲んだ。

その時に出てきた話題の一部始終を書き記しておきたい。

 

端的に言えば、メールやチャットの返信こそがコミュニケーションを複雑化させるというものだ。

 

この問題を切り出した友人は最近、自身が経営する会社にリモートワークを導入した。数十人がステータス共有のためにチャットでやり取りをすることになったそうだ。普段ダイレクトコミュニケーションを主で仕事をしていた組織からすれば、ルールの再整列化は簡単ではなかっただろう。

 

どうやらそこで起きている問題は、強引によろしく。と丸投げる人や、ダラダラと長い文章を書いてくる人、文章のポスト後、付け足しや修正を繰り返し、一体どの時点が正しい情報なのか混乱させる人、夜中にまとめてポストする等、「察しろよ」的自分勝手が招く複雑に絡み合ったバイアスコミュニケーションらしい。

確かにそれらをアラインさせる役割は大変だ。

 

膨大な情報を処理しながらビジネスとプライベートを保っていると、物事への優先順位付けは皆バラバラで、毎時求められるのは自分に関係の「ある」と「ない」の区別に追われ、社会的品位を保っている暇など無いのである。

そして、マルチタスクなんてものはそもそも人間に備えられた得意術ではない為、20チャンネルにも増えたチャットの読経に追われながら、不本意にもミュートにしつつ、いついつまでにこれやってください。に首を絞められる。

 

キャパシティ問題に目を瞑りながらも、社員のストレス解消目的で導入したリモートワークも、結局はチームの人柄に左右するところが多く、距離とスピードは角度を変えれば悲しきトレードオフなのか、本末転倒な結末を迎えるのであった。と締めくくられた。

 

 

さて、気分や感情が混入しない分、受け取り方の感受レベルで事の重大さが変わるメールやチャット。以下は僕が最近仲の良いデザイナーの友人に送ったメール(デフォルメ)だ。彼は現在フリーランスで、普段から貪欲に仕事を探している。

 

 

「ご無沙汰!紹介したい案件があって連絡しました。この間◯◯という企業で◯◯というプロジェクトを担当している人に会ってきました。これから最も伸びる分野で社内R&Dができるとのことで、やりがいと自由さに期待しています。

して嬉しいことに僕もご一緒できることになりました。◯◯(彼の名前)も良ければどうですか?またアプデさせて下さい!」

 

それに対して、丸24時間寝かされた僕の美味カレーへの感想は、

「へぇ、いいね よろしく」

 

 

…うん。僕としてはこの案件を彼に紹介してもしなくても良いのである。

善意だと思って彼が喜んでくれる様な文面に仕上げた。しかし、彼はアルコールランプに付いた火の上から、重い瓶の蓋をするように僕を一蹴した。

 

受け手は常に認知で相手を想像する癖がある。そして送り手は嘘と本音で会話する。

これは前篇で語ったテレワーク問題の詳細を示しているようだ。

 

「へぇ、いいね よろしく」は本音ではないように見える。そもそも興味があれば熱意を示す。返信時間を優先したり、文面を工夫するはずだ。

彼はそんなに淡白な人ではない。何か気が滅入った時と重なったのであれば、どうぞ友人として、それを相談してもらいたいものでもある。返信を後ですると一報入れるのもマナーかもしれない。とにかくどんな理由であれ善意に対する答え方は工夫出来たはずだ。

 

分析すればそもそもこの仕事に興味がない。次回から察しろよ」が彼の答えだと落ち着く。僕との友人関係から配慮された「一応唾つけておくか、アプデヨロ。都合の良いやつ」の意とも取れる。

 

僕の認知はそれであり、彼はガチ本音は言えず、オブラートな嘘を言ったのである。

これが複雑化したコミュニケーションだ。

僕はこの嘘を本音だと勘違いして、対応をした。彼にこの件をアップデートしたのだ。

しかし彼は毎度迷惑がりながらも、既読を付けていく。返信はない。

 

 

僕はこのブログを書きながら、彼が仕事を欲していないと理解した。

ちょいと判断が遅く、間抜けに見えるかもしれない。

でも昔の吉見で言えば正当な付き合い方だろう。

 

でも本当の彼はどうだろうか…。

欲しいの模範返信解答は「是非 お願いします!」「後で詳しく聞きたい」であり、欲しくないの解答は「ちと 忙しいからわからん」とか「今回は無理だ ごめん」であった。

 

いやいや、恐ろしいものである。お互いが気を遣い合った結果が招くバイアス地獄だ。

 

真意が分からないということはこういうことだ。固定化された概念で彼を観ている。想像が認知を助けているのでもはや僕の中の偶像化された彼と仕事をしている。

 

メールやチャットの返信に見える認知と嘘と本音。自分への戒めとして、ここに。

空間

漫画ジョジョの奇妙な冒険で、「虹村億泰」という空間を削り取る能力を持つキャラクターがいる。

 

一方、僕は空間を作り出す事が得意だ。

 

先日も派手に作ってしまった。

 

初夏の兆し

土曜

晴天

渋谷

正午

平均的な待ち合わせ時刻

スクランブル交差点

 

放射線状に設けられた横断歩道。端々の合計1000を超える通行待ちの人の数。

真っ赤な目の信号機が人の波を睨み、2000を越える目がカウントダウンを睨み返す。

 

車道の信号が黄色から赤に変わり、無理に横断しようとするタクシーの傲慢さに、皆が呆れて溜息を付き、その黒光する車内からは何ら悪気もなく澄ましたの運転手のあの、「独特」が見える。

 

そして歩行用の信号が青に変わるまでの1秒間。

スクランブル交差点には謎の静けさがやってくる。

 

次の瞬間、決壊したダムから、堰き止められていている人波は溢れ出し、迷うこと無く目的の島に向けて打ち付けられていく。

足並みの揃っていない行進。削られるアスファルト

流動的な1000、2000の人間。それぞれが全く違う言葉を発している。それはレイヤーとなって積み重なる。四方八方、密接に囲まれたビルの中では音が逃げ切れず、雑音は高層に積み上がっていく。

 

それぞれのランダムな思考と行動。視界、歩行速度、進行方向が違う人間。

とても複雑なネットワーク構造にも関わらず、僕達は絶妙なタイミングで衝突を避けていく。

 

そんな中、僕は横断歩道の真ん中で転倒した。

愚かにも自分の足につまずいたのだ。

 

スローモーションだった。

 

前を歩く人の一瞬振り返った姿が見えた。

転倒後、慌てて起きようとした。

 

人目が気になって恥ずかしすぎるのだ。

 

周りには半径1.5m程の空間ができていた。

乱流する川に投じられた一石を皆が避けていく。

雑音も心なしか少なかった。

あらゆる人の無表情がこちらを向いていた。僕が通行人で、転倒した人が突然視界に出てきたらどんな表情で、何を感じるだろうか。

 

横断歩道は転倒する場所ではなく、歩行する場所である。

その秩序を乱した異端児の自分が起こした行動が渋谷のど真ん中に空間を作り出した。

 

立ち上がった瞬間、空間は埋まっていく。

振り向いたら何人かと目が合った。

口角が上がっていた。

今直ぐに冷や汗で濡れたシャツを着替えたかった。

 

--

 

 

次の日、僕は偶然同じ時間に渋谷に居た。

今度は車の中でスクランブル交差点の信号待ちをしていた。

 

初夏の兆し

日曜

晴天

渋谷

正午

平均的な待ち合わせ時刻

スクランブル交差点

 

交差点の中に空間が見えた。

 

外国人観光客であろう、カメラのストラップを肩に掛けたおばさんが転倒していた。

おばさんはキョロキョロを見渡し、カメラのレンズが外れいてないことを確認し、何事もなかったように別の島へ泳いでいった。

 

その一部始終を車内から見ていた僕だけが、おばさんの能力に仲間意識を感じていた。

18歳の初春、高校の卒業式に出席をせず、その見込み書だけを自宅に届けてもらい、僕は東京で大学入試を受けていた。

 

そして失敗。人生の大敗を喫した。

西日本の方田舎、村の人口なんて3桁ほどで、10分もあれば全員の名前を言えてしまう。

 

-

 

友人達から貰った沢山のお守りの数々も虚しく、事後報告会では更に気を遣わせる結果になった。地元で就職を選んだ友人から、目標を諦めず東京の予備校に通うなんて、オレには出来ないと、励ましてくれた。新しい門出だ。と皆祝ってくれた。

 

言葉は自分よりも何倍も大人だった。

 

予備校の学生証が自宅に届いた時、いよいよ勝負が始まるのだと緊張したのを覚えている。中央線沿いにある予備校は、小規模ながら実力で言えば都内でも名門で、高校の受験勉強中に読む大学入試向け資料でも必ず広告が出ていた程だった。

情報源が限られた田舎町には、メジャーなメディアにメジャーな広告を載せる事が人々の洗脳の一歩であった。そのうちの1人が自分だ。それしか頼るものが無いから仕方がない。

 

最初は一人暮らしを目指していた。経済的な理由と受験に集中するため、社会人と学生が多く暮らす寮に入った。

 

何から何まで初めての体験で、駅構内で矢印の多さに驚き、ビルの窓の数に驚き、自分よりも高い場所、ビルの2階3階辺りに走る車や電車のシャシーをポカンと見つめていた。ただの車でさえ、ただの電車でさえ、昔想像で組み立てた立体プラレールが現実のものになっている東京に圧倒されたのだ。

 

街の作りだけではなく、交友関係を含むその複雑で難解なエニグマのような社会構造は無機質に感じた。自分の単純で稚拙な鍵でアクセスできてしまうプライドが馬鹿馬鹿しくもあり、有機的にも感じた。

 

 

寮では、寮母が作る飯を食堂で食べるのが日課だった。

朝晩自分のリクエストとは全く違う物を食べるのだ。

 

プラスチック容器でまとめられた食器にご飯とおかずを入れて、ビニールのクロスが張ってあるテーブルに置く。蛍光灯の光とテレビの光が、センスの悪い花柄のポットを余計虚しく演出していた。

 

友人は最初いなかった。色んな職業 年齢差の人達を見かけた。服装は皆ジャージで、時折スーツのジャケットを脱いだだけの人も居た。分厚い眼鏡を掛けた中分の茶髪、やんちゃなグループ、年齢職業不詳のおじさん、アフロヘアの長身。皆何をしているんだろうと、どこから出てきて、何を目的に東京に来たのか。想像が膨らむばかりだった。

 

入寮し、3ヶ月が過ぎようとする頃、食堂は扇風機からクーラーに変わり、夏らしいメニューが増えてきた辺り、大浴場で僕は、かなり年上のおじさんと世間話をする仲になっていた。

その人は大阪で保険関係の仕事をしていて、新宿に支社があるんだと言っていた。僕の受験を知っていたおじさんは気分転換にと、ゴッホの画が飾ってある美術館の入場チケットを2回くれた。 

 

月日は流れ、秋口には部屋に遊びに来る友人と、挨拶をする程度の友人が出来ていた。

食事の時間になると皆で食堂に向かった。沢山馬鹿な話をした。工事現場勤務や日雇い大工、音楽の専門学校生に美容師の卵、日本語の勉強をする外国人、同じ学校に通う予備校生。

 

寮で暮らす、数十人もの人間の多様な生き方を、その生々しさとドラマを、24時間感じることができるリアルな場所は、こんな所以外存在しないと思っている。

 

-

 

食事の時間、主におかずを平らげて二杯目のご飯へと移る割合が多い事が統計でわかった。ある日、友人5人とテーブルを囲んだ時の事。

全員がお茶漬けをした。友人がふりかけを買ってきたのだ。

 

しかし全員の作法が違った。

ある人間は熱い緑茶をたっぷり、ある人間はお湯を少しだけ、ある人間は冷たい麦茶で、ある人間は茶碗のご飯を縦半分に固めて分け、そこにふりかけを全部入れた。

 

「昔から」だと、「自分の家ではこうだ」と作法の違いに皆持論を唱えた。

僕達は流や道を持っていた。これは食に限った話ではない。

剣道や柔道、茶道に華道のように、生活の中で流派を確立していたのだ。

 

隣の哲くんが、自分のを平らげた後、過去経験のない冷たい麦茶でお茶漬けを試した。

彼はそれを気に入った。

 

次の日彼は新しく学んだ作法でお茶漬けを食べていた。

 

 

きっかけはどうこうあれ、流派を広めることは難しい。自分のやり方が皆気に入っているからだ。

 

後ろに人を並ばせていく影響力やカリスマ性は重要だが、一番手の行動というのはバイアスの塊であり、無意識行動の一波に過ぎない為必ずしもその力が全てではない。

実は二番手の、自分の概念を壊しながら興味本位で冒険し、その流派に感動した後の敬うアクションが僕にとっては興味深く、それを知った上でコントロールできる人間こそ本当の革命者であると、寄せ固めたご飯にお湯を注ぎながら感じていた。

 

 

Wirelessヘッドフォンの音質。特にBoseとSpotify Premiumの相性

Bose Quiet Comfort 35 wirelessを手に入れてから4ヶ月。

24時間、首元から離せなくなった。音楽を聞くにも電話をするにも、これがなければ集中できない。時には何も流さず、ただただ環境ノイズを遮断するために使ったりする。カフェで仕事をしていても暇そうなオバサン達の会話を聞くこともなく自分のTodoに没頭できる。バスの乗り過ごしを経験できたのもこの製品のおかげだ。

 

最近は社内で5人も同じプロダクトを身に着けている。

自分のヘッドフォンがわからなくならないよう、首元ステイさせておくのは暗黙のルールだ。勿論、髪型をうっかり坊主にしてしまわないこと。それも暗黙のルールである。

 

その音質本領発揮していませんよという話

さて、本題。MacでSpotifyPremiumを使っている方を基準に話をするが、このBoseヘッドフォンのコーデックサポートをご存知だろうか?コーデックによって音質の善し悪しが決まる故、ファンには気になる項目だろう。しかし残念ながらEストアのページにもマニュアルにも詳細を書いていないのである。

日本のカスタマーサポートは一つ質問を入れるのに個人情報を尻の毛一本まで毟る勢いだったので踵を返し、本家に問い合わせを入れてみた。本家は匿名での質問を受け入れてくれた。

Bose QuietComfort 35 (QC35)がサポートするコーデックが何なのか問い合わせしてみた

 

上記ブログで実際問い合わせ結果まで紹介してくれているので、情報を組み合わせてみる。

つまりはこういうこと。

QuietComfort 35 wireless headphones」と「SoundSport wireless headphones」は、標準コーデックであるSBCに対応している。それ以外のコーデックの対応状況については開示しませんよ

 

そもそもMacOSはBluetoothAudioのコーデックにapt-xは非対応、AAC(Appleが作った)を対応という独自のルールがありながらOSではデフォルトOffになっている。

一方でヘッドフォンメーカーは大手でさえ対応コーデックを非公開にしていたりと消費者にとって不利な状況。アンオフィシャルなサイトから情報収集して自分の使うプレーヤーとを適切にマッチングしなければならない。

 

そこでapt-xAAC対応のBluetoothワイレスヘッドフォンやイヤフォン、スピーカーを持っていてMacで音楽を聴いている人(OS はEl Capitan以上 )は一度試して欲しいことがある。

 

  1. メニューバーにBluetoothのアイコンを出し、Shift + Option + クリック。Wirelessヘッドフォンのデバイスにカーソルを合わせてみる。もしコーデックがAACではなく画像の様にSBCになっていたら、それは本来のデバイスの力を発揮していない。

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  2. 自分が試したのはAppleのDevs用サイトからHardware IO Toolsダウンロード。(Xcode 7用で試した)Bluetooth Exploreを開く。

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  3. Tools > Audio Options > Enable AACにチェック。バーを右に最大までスライド
  4. もう一度メニューバーにBluetoothのアイコンを出して、Shift + Option + クリック。AACになっている。早速Spotify Premium(AACビットレート320kbpsで配信)で試してみよう。

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BOSEのコーデックを隠す理由がよくわからない。MacOSBluetoothコーデックのAACデフォ非対応というのも謎だ。

とにかくこれで多少のクオリティが担保された。

 

 

遺伝子学から読み解く自由の定義

分子学者であり生物学者でもある福岡伸一先生。

彼のシビれる考え方を、僕なりの解釈を加えながら意訳メモ

 

DNAの基礎

 

メタファと環境変数

  • 遺伝子は、鳶が鷹を産まないようにしているだけで、どんな鳶になるかは環境が決めている。
  • 塩基ATGCを楽譜に例えるのなら、我々には楽譜だけが与えられていて、どんな風に演奏するかは「どんな空気」を吸って「どんな刺激」受けて「何」を見たか等環境で決まっていく。ピアニッシモ、ピアノ、メゾピアノ、メゾフォルテ、フォルテ、フォルテッシモ等、楽譜には様々な記号があるが、それが変数だと捉えたらいい。全てはインプロビゼーションの様である。
  • 子は親に似ると言う言葉があるが、それは違う。どんな変な親でも、ちゃんと子は育つ。それは環境が左右してくれるから。

 

遺伝の呪縛と解放 イギリスのEU離脱から考察できる「人間」の本質

  • 人は長い歴史の中で唯一遺伝子の呪縛から脱することが出来た生物である。遺伝子の呪縛とは「争え・奪え・縄張りを作れ・そして自分だけが増えよ」という事。つまり利己的な命令。コレに対して、争うのではなく協力し、奪うのではなく分け与え、縄張りをなくして交流し、利己的ではなく共生すること、遺伝子の呪縛からの自由にこそ、新しい価値を見出した初めての生命体「人」である。
  • 種に奉仕するよりも、個と個を尊重する生命線 国境という人工的な線をなくし、人々の往来と交流を促進し、共存を目指したのがEUの理念であったのなら遺伝子の束縛から一歩踏み出した生命線に適っていた。

  • イギリスがEUから離脱したことを特別に重視してはいない。なぜなら生命の動的平衡とは、沈めようとすれば浮かび上がり、押せば押し返すもの。人は遺伝子を発見し、その命令を読み解いた上でそこから脱する事の価値に気づいた。遺伝子の成せる技だとすれば…、遺伝子はこう言っているのかもしれない。生命よ自由であれ。と。

 

動的平衡 *1

  • 遺伝子とはOSであり、このOSは残念ながら個を大切にしていない。種を大切にしているのだ。しかし「怠けようが、早く死のうが自由である」と、人は個の自由発見した。
  • 人は遺伝子を越えていく。戦え蹴落とせは原始的なものだ。個体は豊かな人生を歩めると気づいたのも人間だ。
  • 生か育ちか。と問われれば、自分(福岡氏)は遺伝子学者だが「育ち」のほうが大きいファクターだと思っている。
  • 動的平衡は私達の個体のあり方である。流体のようなもので、入ってきた食べ物は常々分解しているので、昨日の私と今日の私は物質的に違う。分子が入れ替わっているのだ。

 

人間の自由 - 感想 -

過去に拘るということは愚かなことだ。虫や動物は約束を守らない。自戒しない。途中で死を選ぶ動物は人間以外に在るだろうか。


現代の人間は、本来持っている遺伝的命令「争え・奪え・種を残せ」に従っていない。環境作用に寄ってコントロールされている生命体が僕らの現状だ。

遺伝子は不自由で、個は自由。複雑な状況だ。

僕らは自由な個体で自由な状況下にいると思っているが、それを取り巻く環境が、僕らをコントロールしている。取り巻く環境は巨大なコンセプトによって動いている。この一度決められた概念は根深く、歴史あるものだ。

 

複雑に絡み合った根深い歴史ある概念を変えるには、作られた時間にこそヒントが有る。当時の人々が実証できなかった抽象的な物事と限られたコミュニケーション。これが変革のためのキーワードになるだろう。善か悪か。バイアスを壊し、コンセプトリメイクで大義を動かすことが唯一の社会変革の希望であることは間違いなさそうだ。

 

参考文献:TBSラジオ朝日新聞 2016/6/21

*1:ルドルフ・シェーンハイマーの提唱した「生命の動的状態(dynamic state)」という概念を拡張したもの